2025/09/07 14:53

皆様、こんにちは。

今年の暑い夏も少しずつ色を変え、

夜には秋の予感を感じる涼しさが

入りこむようになりました。

 

窓を開けると、

秋の声に合わせて

レースのカーテンが

柔らかく静かなリズムで踊り始めます。

 

かつては、

大きな夢を抱いて

月を見上げていた自分もいました。

しかし今は、

隣にいる大切な人をそっと照らし、

微笑みかけられることに、ささやかな幸せを感じています。

 

本日は、Amebaブログ「甲賀真理子のファッション裏話」第6回を再掲致します。

皆様を優しく照らす月の光の思い出と共に、

懐かしい話に耳を傾けて頂けたら幸いです。

 

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2丁目に行く?2021103日)

 

1日からお店でお酒が飲めるようになって、ようやく外食する喜びが戻って来ましたね

ただ、怖いのはまた感染者が増えて、蔓延防止や緊急事態宣言が

出なければよいのですが

多大な影響を受けたわが社にとって、ぶり返しの無い様祈るばかりです。

 

さて、文化服装学院のデザイン科に通っていた時、

○○賞に応募する気は余りありませんでしたが、

時々知り合いの手伝いはしていました。

ある時、深夜0時を回ったころ、Tさんのお手伝いをしていた時、Tさんが突然、

ちょっと休憩しない⁈”

真理ちゃんは2丁目とか行くことある?

と聞かれたので、無い!と言うと

僕と一緒だと入れると思うから、ちょっとだけ行こう~!と提案。

 

50年以上前の2丁目はほとんど戸籍上の女性は遊んでなく、

最初に行ったさざえもその日、女は私一人。

あまりしゃべらないで帰った事が2,3回続きました。

(後にも先にもおでこを出したのはこの頃だけです)

 

ある日の事、皆が映画の話をしていた時、黙って聞いていると、

今は亡きサザエの有名人よっちんが、

あんたも何か話しなさいよ!と言うので、思った事を喋ると、

さすが、Tが連れてきただけあって面白いわね!と。

 

今度から一人で来てもいいわよ!

お金もサービスしてあげるから好きな時に遊びにいらっしゃい!”との事。

 

それから、色々な業界の先輩たちと沢山面白い話が出来、

殆んど2丁目以外には行かなくなって、

あっという間に5年が経ってしまいました。

 

今でもその時知り合った人や、経験したことは私の宝物です。

 

学校も卒業して()ローマ岩島に勤め始めましたが、

いつ寝たかわからないほど元気に動き回っていました。



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「目白アトリエトーク」

Staff – 当時の二丁目で、先生が身に付けていた洋服やアクセサリーに

「あら素敵!」と反応して下さったお客さんは多かったのではと思います。

実際、そのようなエピソードはございましたか?

 

甲賀 - 特になかったですね。

私は学生でしたので、とてもシンプルな装いでした。

二丁目で知り合った方々は皆さん個性的で、

自分なりのお洒落をされていましたね。

私の方が沢山の刺激を頂いていたと思います。

 

Staff – ありがとうございました。